2002/08/09「車が好き」じゃない。

私は「車が好き」ではない。

これは本当の話で私は「走るのが好き」である。
車は走る為の道具、スープラも同じ。
自分の走りのイメージに近い車を選んで
自分のイメージに合わせてチューニングを施した。
イメージさえ合えば車種は何でもいい。

だから、「スープラ好き」とか「車好き」と
言われると随分な違和感がある。
大抵、「スープラ好き」「車好き」な人とは
あんまり馬が合わなかったりする。
車種として、車としてなんの興味も無い。
自分のイメージに対してどう走ってくれるか、
チューニングすることによりどれだけ近くなるか、
それだけが興味の的。

「スープラ好き」「車好き」が悪いとは言わない。
別に悪いことじゃないし、いいことじゃないかな。
そう思えるのは幸せだと思う。
でも、盲目的、狂信的に好きにはなって欲しくない。
駄目なところは駄目、良いところは良い。
そういうのはキッチリ持っていて欲しい。
所詮、機械であり続かないものということを忘れないで欲しい。
自分の意思をしっかりと持って欲しい。

目的を失っている改造を見てると、それでいいの?と思う。
雑誌や流行、他人に流されてないか?
それは本当に自分の望んだ姿なのか?
本当に必要だったのか?
余計なお世話かもしれないけどもっとやるべきことや
ほかにお金を使うことが出来たんじゃないかな?
いや、なんていうかな。
元々、走るために改造って存在するんじゃない?
走る目的もないのに無理な改造してない?
パーツを付ければそれが凄いのかな?
ドレスアップ、目立ちたい、只の自己満足を否定する気は
さらさらないけどやる前にもうちょっと考え直さない?

大切な想い、大切なものが根本的にずれてるから
こういったことを書いても、見向きもされないだろうし
変人と思われても頭がおかしいと思われてもいい。
でも、こういった考え方もあるんだなと思える人が
一人でもいると救われます。


>> BACK