2004/01/25その

 NHKで放送している「その時歴史は動いた」
というテレビ番組があるが、これを「その歴」などと
勝手に略してその放送日を楽しみにしている者など、
そうはいないのだろうか。

 学校の教科書だけでは収録しきれない、
裏の秘話などもたまに紹介してくれている。
司会役の松平さんも、淡々と史実を語るから
そういう雰囲気がよりいっそうかもし出されて
いるように思う。

 日本は幸い歴史のとても深い国であるが、
しかし私はあまり日本史は好きではない。
理由はいろいろとあるのですが、・・・
まあ、それよりも世界史が好きだということです。

 日本は(日本人は)、どういうわけか世界史を
理解しようとしない・・・と思う。近年になって、
アジアに関してだけは関心が高まっているよう
だけど、しかし世界史の醍醐味はやはり
欧史ではないかと思う。

 世界史を理解せずして外交ができるのか、
条約が結べるのか、などいろいろ疑問点が
あるんだけど。・・・

 「その歴」でも、主流派やはり日本史だけど、
たまに世界史の面白い部分を取り上げてくれる
時がある。その時の番組がとても面白いです。

2004/01/25 22:47 Fan No.37 segu
その歴、毎回見てますー、結構面白いですよね
2004/01/26 07:08 Owners No.1106 mie
最近ゆっくり本(歴の)など読んでみたくなったりします〜学生の頃より楽しめそうな気がして・・・(^^;
2004/01/26 13:03 Owners No.360 R357
おおー、「その歴」の愛好者がいたんですね〜!!うれしい限りです。最近は、コミック(文庫本)でも「その歴」がでているみたいですね。まだ読んだことないのですが、そのうち絶対読みます。
2004/01/26 13:05 Owners No.360 R357
学生の頃は、結局は試験の点数を気にしなければならない読書(勉強)だったと思いますが、今はゆっくり読めますよ。というか面白いし。がんばって読みましょう。
2004/01/26 15:04 Owners No.1171 RUGGER
僕は日本史が好きですよ〜。中学時代は特に室町〜安土・桃山時代の所謂戦国時代にハマッてました(笑)。好きな武将は武田勝頼!マニアックですが。史実的には長篠の合戦などの例で勝頼は凡愚な武将とされていますが、実は非常に優秀な人だったんですよ。
2004/01/26 23:00 Owners No.360 R357
ホホウ、武田勝頼よりとは確かにマニアック。日本史は、深く追求すればいくらでも深く掘り下げられるから、面白みも倍増ですよね。僕はあまり深く掘るほうではないので、日本史は苦手ですが・・・。今、僕がはまっているのは欧史のなかでもドイツですね。英仏露にかこまれているせいで、随分と、自分の歩みたい方向性が強制的に決められている気がする。まだまだ勉強不足で「説明しろ」とかいわれたら説明できないくらいに理解していませんが、時間をかけて気長に楽しんでいきたいです。
2004/01/27 13:08 Owners No.823 Randy
勝頼は凡将ではないと思いますよ〜。自分も戦国マニア&三国志マニアです(汗)。勝頼は嫡流ではなく、信州よりの人物だったので、甲斐の国人たちよりも信州人を重用したために選択を誤った所が長篠の敗因の一つにあるようですよ。でも、領土は信玄時代よりも拡大していますし、戦だけなら信玄よりも上と言う評価も聞いた事がありますね。字も信玄よりも勝頼のほうが達筆でした。
2004/01/27 15:49 Owners No.360 R357
おおーっとここにも歴史マニアが!日本史は苦手で話についていけないのが残念ですが・・・、文字のきれいさは、石田三成がとてもきれいだったときいたことがあります。一方で坂本竜馬の文字はとても汚かったとか。勝頼ですが、恥ずかしながら、ここにきて初めてそれらの話をしりました。ありがとございました。
2004/01/27 22:15 Owners No.823 Randy
長篠の合戦は「鉄砲対騎馬」「近代対中世」的な扱われ方が一般的ですが、あの戦は実は謀略戦です。信長側の情報戦略(謀略)に乗せられた武田家が敗れたと言うのが、真相だと言っていいと思います。三成と大谷吉継(字があってるかな?)のお茶会の話は良いお話です。竜馬は名より実をとるタイプだったでしょうから、字が汚くても気にしなかったんでしょうかね?
2004/01/27 23:27 Owners No.360 R357
鉄砲と騎馬。この文字から連想するのは同じく中世欧州で宗教改革の一端を担った議会派クロムウェル。確か1642年、これもピューリタン革命の一翼で、鉄騎隊を率いて王党派軍を英ネーズビーの戦いで破ったと思います(確かこうだったと思います)。面白いのは、彼の英雄ぶりもそこまでで、護国卿となったあとは独裁に走るんですね。権力者と独裁というのはどうも紙一重で、上手くいかないものらしいです。それにしても有名な長篠の戦が謀略戦だったのですか。信長という人物は、野蛮なイメージがおそらく強いのでしょうけど、それにしてもそういった策略というか陰謀というか、こういったことを企てて勝利するなんて、凡人には考え付かない・・。
2004/01/27 23:36 Owners No.823 Randy
クロムウェルですか。「革命家は理想ばかりを追い求めるから、過激な事ばかり考える・・・」某アニメの台詞ですが、的を得た台詞だなと思います。クロムウェルは確か独裁に失敗して失脚してますよね、たいした期間も維持できずに。信長は桶狭間の奇襲のイメージから、戦争が上手なイメージがあると思いますが、戦争は強くなかったようです。ほとんどの戦いが数に頼んでの戦いばかりです。奇襲や、不利な状況からの逆転勝利は桶狭間くらいではないでしょうかね。
2004/01/28 00:21 Owners No.1171 RUGGER
おお!Randyさん歴史にも詳しいんですねー。勝頼を弁護して下さって嬉しいです。あの長篠の合戦では、勝頼は撤退を望んだのですが信玄公以来の古株の武将達が武田の騎馬隊は不敗だと勝頼を押し切ってしまった。そしてそれらの武将達は勝頼を心から忠誠していなかった・・・というのが真相のようです。戦は本当に強かったそうで、信長は信玄よりも恐れていたといいます。信玄は戦国武将一の女好きではあったそうですが(笑)。
2004/01/28 00:28 Owners No.823 Randy
RUGGERさん>逆ですよ、甲斐国人派閥(信玄古参武将)たちは反戦撤退を主張、跡部某やら信州派閥(勝頼の派閥)が信長側の謀略に掛かり、天候も雨天だったため、鉄砲も使えないと判断し、戦端を開きます。ですが、蓋を開けてみれば、勝算ありの情報が、信長側の偽情報。結局古参の武将たちが犠牲になり、逃げ延びる。こういう流れです。自分はむしろ信玄の方が好きなんですが・・・(汗)。信玄が戦国一の女好きとは聴いた事がありませんね。
2004/01/28 00:42 Owners No.1171 RUGGER
>Randyさん   そうですね。山縣や馬場などの武将、勝頼参謀の真田昌幸は撤退を主張したが、跡部や穴山信君などが信長の謀略(佐久間信盛の寝返り)に合戦を主張した・・・。果たしてその結果、山縣・馬場などの名将が討ち死にし穴山や御親類衆の武将は真っ先に逃げ帰った。その後、武田家は弱体化し衰亡の一途を辿る・・・という流れだったと思います。
2004/01/28 10:52 Owners No.360 R357
おおーっ、白熱してきました。歴史の醍醐味は、他の学問と違って、こうやって意見の交換ができることですね。自分で主張したり他人の意見を参考にしたり。ただ、あまり過激になると一触即発になってしまいますが。。。でも、そのきわどいラインで勉強できるのもまた、歴史学の面白みであるといえましょう。
2004/01/28 11:02 Owners No.360 R357
>Randyさん。まず、クロムウェルから。その革命家の台詞、アニメからの引用と言うことですが、まさにその通り。理想の追求と過激な行動はまさに二律背反。中世を通り越してからは、血を流さずして革命は成功していないように思います。孫文もレーニンも。求める理想が大きいほど、また当時の社会体制が成長過程が未熟であるほど、革命家に率いられた民衆の行動は過激になっていると思います。
2004/01/28 11:12 Owners No.360 R357
>Randyさん。信長について。戦には強くなかったようですが、長篠では、その偽の情報を敵陣に流すなんてまさに謀略戦ですね。すると彼が戦が苦手だったということは、武力的な戦が苦手だったということになるのかな。それとも彼が台頭してきた初期の頃が弱かったということかな(日本史は苦手でして・・)。でも、長篠の戦においてのそういった戦術的を聞くと、頭脳派の武将だったということになるのでしょうか。武田勢を弱体化にまでおいやるなんて。
2004/01/28 11:17 Owners No.360 R357
>RUGGERさん。日本史が苦手な(世界史も得意とはいえませんが)僕には初めて聞くような小武将の名前が・・・。さすが戦国マニアだ。自分が好きな武将を理解してくれる人がいると、嬉しくなりますよね。もっと日本史勉強しておくのだった。。。こういう会話にもっと参入したいのに・・・・。難しくてわからないです。・・・
2004/01/28 12:59 Owners No.823 Randy
R357さん>無血革命はガンジーだけでしょうか?西洋史はあまり詳しくないので・・・。革命家は、ストイックに理想を追求できるような強烈な思想家じゃないと勤まらないと言う事でしょうかね。信長は並以上には戦は強かったとは思いますが、時勢を読み違える事が無かった為にあれだけの勢力を築きあげたのでしょうね。武田家は信玄没後に信州・甲州の派閥が出来上がり、家臣団が分裂していたようです。長篠以外でも何かきっかけがあれば一気に弱体化は進んだと思いますよ。  RUGGERさん>実は自分は武田家が一番好きなんですよ。山縣・高坂・信繁は好きですね。
2004/01/28 19:13 Owners No.1106 mie
噂を聞いて覗いてみたら・・・盛り上がってますねぇ〜・・(^^)
2004/01/28 20:05 Owners No.360 R357
そうですね、マハトマ=ガンディーの非暴力・不服従(サティーヤ=グラハ)は有名ですね。彼が留学した先のロンドン(?)で、列車に乗ったところ、その車輌は白人専用の車輌だった。有色人種は貨物車へ行け、と車掌に言われたらしく、結局彼はその列車を降りる。この時から彼は印を英から独立させることを決意し、この運動を成功させることに生涯をつくすことを決めたようです。しかしこれは独立運動であって革命ではなかった・・・。彼は結局ヒンドゥ教側にたって国民会議派の指導者として活躍しました。一方で英はこの国民会議派に対抗させるために、あえて全インド=ムスリム連盟というイスラム系組織を結成させ、ガンディーを困らせたそうですが、何とか独立を勝ち得たようです。
2004/01/28 20:09 Owners No.360 R357
信長についてですが、やはり並以上には強いですよね。そうでないと・・・弱い信長って認めたくない。武田勢の弱体化は長篠の戦いがなくても可能性があったということなんですね。(^^;
2004/01/28 20:10 Owners No.360 R357
>mieさん、盛り上がっていますよ。
2004/01/28 22:28 Owners No.823 Randy
mieさん>噂になってるんですか?  はずかしい・・・
2004/01/28 23:56 Owners No.1106 mie
すごい 歴史のお勉強だぁ〜(^^)
2004/01/29 13:14 Owners No.360 R357
そうですね、噂になると確かに恥ずかしい。外部にはあまりみられたくない一面でしたね。この辺でお開きにしましょうか。また、そのうち歴史系の日記をかくので、そのときお願いします。

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